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「病跡学」の病跡学―医学用語変遷の観点からサルトグラフィとの関係を考える―

齋藤慎之介(自治医科大学附属さいたま医療センター)

​抄録本文

 メビウス (Möbius PJ) 以前のPathographieは、ギリシャ語の語源どおり「疾患の記述」を意味しており、日本語では「原病論」(現代の「病理学」) あるいは「現症記事、病歴」といった訳語が与えられていた。メビウスは現在の病跡学の意味でPathographieという語を用いた最初の人物であるが、この用法は医学史家である富士川游によって速やかに日本に紹介され「病志」という訳語が与えられた。その後さまざまに訳されたPathographieであるが、1937年に日本精神神経学会は「病蹟」という訳語を創案した。この訳語が選定されたのは、「病志 (病誌)」ではメビウス以前の用法と差異化が図れないこと、一方「蹟/跡」の意味するところがPathographieの方法論と合致していたこと、また「病跡」という語はすでに「身体疾患 (特に結核) 罹患の痕跡」といった意味で使用されていたことが理由として推測される。しかしながら第二次大戦後、当用漢字制定の影響などから結局は1959年に「病跡」の訳語に変更された。1966年に日本病跡学懇話会が創設され、その後学会レベルでの活動が継続して行われたこともあり、1989年には日本精神神経学会によってこの語は「病跡学」という訳語が与えられるようになり、それが定着し現在に至っている。「病跡学」には、疾患の自然科学的方法での認識に代表される病理的なものに着目する側面と、「病める人間」のありかたを個別性をもって認識するという人間学的あるいは包括的な人間理解の側面が区別されてきた。日本では後者の側面での発展が著しく、アントノフスキー (Antonovsky A) の健康生成論に準拠したサルトグラフィ (健跡学、康跡学) もこの側面での発展の一つであると考えられる。だが、皮肉なことに、「病跡学」がサルトグラフィと対置されることで、「病 (patho-)」が、pathogenic (疾病生成論的な) といった特定の方法論を示すものとみなされ、「病跡学」がごく狭小化された人間記述を意味するものと再定義されるおそれがある。健康生成論を導入するのならば、「病 (patho-)」はあくまでも「病める人間」を表すのに留め、 そこに特定の方法論を含意させることは慎むべきであろう。このようにしてこそ「病める人間」を、健康生成志向 (salutogenic orientation) と疾病生成志向 (pathogenic orientation) といった2つの視点から把握する連続体モデルとして「病跡学」を再構成することが可能になると考えられる。

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