第72回日本病跡学会総会
抄録本文
かねてより演者は、ポピュラー音楽の詩で、他者からの視線や関心、特にその場に姿の見えない抽象的な他者から自分へ向けられた視線を歌う楽曲の作り手は、落ち着きのない人物が多いという印象を抱いてきた。そこへ昨年、児童向け詩歌集で歌人与謝野晶子の以下の二作品が並んだ頁に目が留まった。
よしあしは後ろの岸の人にとへ われは颶風(ぐふう)にのりて遊べり
なにとなく君に待たるるここちして 出でし花野の夕月夜かな
前者は後ろからの視線を、後者はその場に居ない他者からの関心を歌っている。では与謝野晶子には注意欠如症状があったのだろうか。
与謝野の自己描写に「私が自分の子供に乳を呑ませようと注意した時に私の現在は母性を中心として生きているが、次の刹那にまだ自分の乳房を子供の口に含ませているにかかわらず、最早私の生活の中心は移動して、私は或一篇の詩の構想に熱中している」とあるほか、短歌作品にも次の記載がある。
鈴虫がいつこほろぎに変りけん 少しものなどわれ思ひけん
(鈴虫の鳴き声を聴いていた筈なのに、いつの間にかコオロギになっていました。私はきっと何か考え事をしていたのでしょう)
与謝野について子や嫁が残した回想録によれば、家事は下女に任せていたが興に乗ると一晩で子供の着物を縫い上げたとか、室内で煙草の灰をよく床に落とした(幼少期には同胞の中で一番ご飯をこぼした)など、注意のムラを示唆する記載は数多くある。次男夫婦宅で子育ての相談をしていた際に、与謝野がひとしきり話したあと、部屋に飾られた旧知の画家の裸婦画に目をじっと注いで「先生の裸婦はいつ見てもいいですね」と言いだし、嫁が「話題の急変にとまどって」「はーとご返事すると」、与謝野はすぐに再び子育ての話題を続けたという。さらに、こたつに脚を伸ばすと後ろに倒れてしまうので常に正座で過ごしたといった運動面での特性もあったようである。
視線への気づきと落ち着きなさとの関連について演者が抱いてきた仮説は、与謝野の場合にはこれらごく一部をみても妥当と言えるだろう。
与謝野は自らの初期作品を不出来と振り返り強く恥じていたほか、過去の辛い記憶が現在のことのように思い出されるという趣旨の歌もあり、これらは現在の当事者たちも時に陥る不毛な内省の罠と言える。これらを与謝野がいかにやり過ごしつつ、上のように創作の題材にも取入れ活動を続けていったか、彼女の健康生成も含めて論じたい。