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仮想世界<U>で「遊ぶことと現実」——『竜とそばかすの姫』すずの成長——

羅田 享(こもれび心の診療所)

​抄録本文

 細野守監督のアニメ映画『竜とそばかすの姫』(2021年)は、主人公のすずが、自己と向き合い、成長していく物語である。
片田舎に住む高校生・すずは、幼い頃に水難事故で母を亡くし、さらにネット上でそのときの母の行動が炎上したことで、心を閉ざし、大好きな歌が歌えなくなり、「月の裏側」と呼ばれるほど内向的な高校生活を送っていた。
こうなった背景には、母の喪失体験を受け入れられないという深い心の傷があった。母との思い出と強く結びついている「歌う」という行為は、整理できない感情を呼び起こすため、すずはそれを避けるようになっていった。また、それゆえに思春期に伴う喪失、選択、幻滅、独立といった情緒的葛藤に向き合えず、距離をとるようにひっそりとした生活を送っていた。この心性は、不登校の子どもたちの心性に近いように感じられる。
そんなすずの人生に転機をもたらしたのが、仮想空間〈U〉との出会いである。ヒロちゃんという理解者に見守られながら、すずの歌は注目浴び、それに戸惑いながらも自信をつけていく。これは、幼少期に母との間にあった創造的な空間の再現のようである。そして〈U〉という仮想空間で自由に遊べ、創造的になり、世界の歌姫となった〈ベル〉=すずは、乱暴者〈竜〉にコンサートを台無しにされる一方で、その存在に惹きつけられる。〈竜〉の存在こそが、すず自身がこれまで距離を置いてきた陰性感情の象徴のように感じられる。歌を通じて〈竜〉と交流し、〈竜〉の孤独だが優しい存在だと受け入れることは、まさにすず自身が情緒的に良い部分も悪い部分も受け入れることである。心的に成長したすずは、自分に生きるべき役割を見出し、〈竜〉の現実の人物が困難に遭っていることを知り、彼の元へと向かっていく。
このアニメは、ネットという仮想空間を通じて、一人の少女の心が成長していく過程を描いている。本発表では、仮想空間〈U〉を、ウィニコットが提唱した「潜在空間」と捉えたいと思う。「潜在空間」とは、内的世界と外的現実の間にある、創造的で象徴的な空間であり、現実世界に主体的に関わり、成長するための重要な場である。このように、主人公のすずがどのように心の成長をとげたかを精神分析的に考察することで、この作品世界をより深く読み解くことを試みていく。

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