第72回日本病跡学会総会
抄録本文
「世をすつる人はまことにすつるかはすてぬ人こそすつるなりけり」。この歌を引き合いに出しながら、小林秀雄は、「西行とは、こういうパラドックスを歌の唯一の源泉と恃み、前人未到の境に分入った人である」と言い、さらに、「平家物語が孕んでいる様な深い歴史感情に独力で堪えた人はあったのである。それが西行だ。」とも言う。23歳という若さで北面の武士を辞し、出家した西行は、その後も神仏への希求を強く持ちつつ、様々な人々と交流を続け、庶民や懊悩する人たちにも心を寄せ、自らは、天空の彼方に恋するような激しいあくがれと苦悶を、矛盾そのままに斬新な歌に詠み続けた。その生涯は苦の中を敢えて生きるような激しさがあり、そこには苦の主体的選択があったように見える。しかし、西行の精神には一見病的なものはなく、むしろ当時の人々より健全にさえ見えてしまう。このような西行を病跡学的に考察することは可能であろうか。
新宮一成は、生の根底にある、主体性を失効した受身性こそ、厳密な意味での生の一回性であるとし、そのこと自体が苦であって、その受苦から病も創造性も生まれてくるとする。そして、病跡学はその苦を問題にするとしている。西行の出家は、苦の選択という主体性があるゆえに、新宮の言う「このようでしかない」という生の一回性を逃れるためのように見えながら、実はそうではなく、むしろ苦の受身性を徹底して、「歴史」に身を任せるという、ある意味で主体性の失効をめざした(矛盾をはらんだ)行為であったと思う。そして、その苦は時に激しい煩悩となるが、彼はそれを正直に歌にしたのである。そこに西行の創造性があったのであり、西行自身は、その歌の言葉は、苦を命じた神仏、つまり、ラカンの精神分析で言う「大文字の他者」から与えられたものだと感じていた。こうした西行の創作方法の秘密を探ることは、結局、彼の苦を問題にすることになり、それは病跡学としてのサルトグラフィーになるのだと思う。発表では、こうした基礎的考察を背景にして、西行の人生史を辿りつつ、その創作方法を考えてゆきたい。そして、議論の果てにおぼろげに見えてくるものは、苦を取り除くことよりもむしろ、その苦が主体的な苦の選択になるような精神科臨床への道ではないかと思う。精神病ではそもそも主体的選択自体が障碍されており、神経症圏では苦の主体的選択を避けてしまうところにその病理があるのだから。