第72回日本病跡学会総会
教育講演
2025年4月19日 5:00:00
内海 健(東京藝術大学名誉教授)
ご略歴
精神科医・東京藝術大学名誉教授。東京大学医学部精神神経科客員研究員。専攻は精神病理学。
東京大学医学部卒業。東大分院神経科助手、帝京大学精神神経科准教授、東京藝術大学保健管理センター教授を歴任。
著書として『さまよえる自己』筑摩書房、『自閉症スペクトラムの精神病理』医学書院、『金閣を焼かなければならぬ』河出書房新社、『精神科臨床とは何か』春秋社など。
日本病跡学会常任理事。
アール・ブリュットの衝撃――サルトグラフィーへの転回
「アール・ブリュット」とは、1947年、画家のジャン・デュビュッフェ(Jean Philippe Arthur Dubuffet, 1901-1985)が「芸術的教養に毒されていない人々が制作した作品」と規定したのを嚆矢とするが、近年、ジャンルを超えて注目されるようになったアートの潮流である。達意の定義としては、亀井若菜による「誰かに見られることを想定せず、完成を目指さず、息をするかのごとく作られる」が挙げられるだろう。そこでは「作者―作品―鑑賞者」という近代アートが前提としてきた構造がまったく成り立たない。その制作者の特徴をあえて一言でいうなら、「プロセス」への没頭となる。そこには作為をもった作者はいない。どの時点で制作が終了するかは不明である。不意にプロセスから飛び出す。そして誰かに見せることは想定していない。
実のところ、20世紀のアートはアール・ブリュットによって起動したと言ってもよいかもしれない。この場合、一つのジャンルとしてのアール・ブリュットが問題になっているのではない。「芸術的教養に毒されていない」という意味であり、近代になって制度化された西洋の芸術の外側に立つ制作(者)のことである。それらは、ピカソにとってのアフリカの原住民の彫刻、ジャズにとっての黒人霊歌などにみるように、前線に立つ者たちに、西欧近代の底を抜くようなインパクトを与えるものであった。
ひるがえって考えてみるなら、アール・ブリュット的な衝撃は、制度の外側からもたらされるものとは限らないのではないだろうか。椹木野衣(2015)は「アウトサイダー・アートと美術史の「巨匠」のありようとは、実は存外に相性がよいのである」と述べ、例としてレオナルド・ダ=ヴィンチ、ヴァン・ゴッホ、モネ、ピカソらを挙げている。さらにそこには、セザンヌや熊谷守一などの晩成型の天才たちの多くがここに付け加えられるだろう。彼らの制作のいとなみの中に、われわれは病理と健康の二項対立を武装解除させるヒントを見出すことができるのではないだろうか。